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タイのゴーゴーバーから見るタイの性風俗産業の歴史

公開日: : 最終更新日:2015/11/23 タイ

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ゴーゴーバーとは、1960年代にカリフォルニア州ウェスト・ハリウッドのナイトクラブ "Whisky a Go Go"で、ライブ演奏中に女性DJがブース内でミニスカートにゴーゴーブーツという革のヒールの高いブーツでセクシーなダンスでバーを盛り上げる「ゴーゴーダンス」が始まり、ゴーゴーダンスを見るバー=ゴーゴーバーとしてクラブ文化と共に広まりはじめました。

ゴーゴーダンスのゴーゴーという名前の由来は、店名である”Whisky a Go Go”から取られたと考えられますが、このラスベガスのナイトクラブの店名は、先にパリにあった同じ名前のディスコクラブの名前をコピーしているのでフランス語となり、フランス語には「à gogo(~し放題、好きなだけ)」という表現があるのでゴーゴーダンスで「好きなだけダンス」と、まさにゴーゴーバーのエンドレスな音楽に合わせて女の子も夜通し踊り続けるゴーゴーバーに合った名前と言っても良いと思います。

※下の写真は世界初のゴーゴーバー”Whisky a Go Go”で、右上のブースでゴーゴーダンスを踊っていたようです。

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日本でも1960年代にゴーゴー喫茶と呼ばれる、今のタイなどのゴーゴーバーと同じようなミニスカートでブーツを履いたゴーゴーガールと呼ばれる女性がお立ち台で踊り、それを男性客がお酒を飲みながら眺める場所が有ったそうで、今我々がタイで眺めているようなゴーゴーダンスを高度成長期の先輩方は日本で楽しんでいたのかもしれません。

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今でもLas Vegas等のバーではセクシーな女性がカウンターでゴーゴーダンスを踊っているバーがあり、これもゴーゴーバーの一つです。

Bayley Brunnmeier, 23, from Las Vegas, Nev., is go go dancing on the bar inside Lolita's Cantina & Tequila Bar, a local night club in Las Vegas, Nev., on Saturday, November 27, 2010. Brunnmeier explains that go go dancing is so much fun but sometimes the women are awkward and want to grope me," Brunnmeier laughs and continues, "but the the men normally just stare." (Photo by: Meagan Reidinger/Brooks Institute © 2010)

また、日本にもCYBERJAPAN DANCERSというゴーゴーダンサーのユニットがあり、クラブやバーのイベントなどで日本でもゴーゴーダンスを楽しむ事が出来るようです(もちろんペイバーはありません)。

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ゴーゴーバーはアメリカで生まれ、ちょうどベトナム戦争の時期だったので、駐留していたアメリカ軍の慰安施設としてフィリピンやタイに広まり、ベトナム戦争に従軍している兵士のRest & Recreationと呼ばれる短期間の休暇をバンコクで過ごす際にハッポン通り等のゴーゴーバーで英気を養っていたそうです。余談ですが、ゴーゴーバーは1970年代前半からハッポン通りを中心に広まりましたが、それ以前はニュー ペッブリー通りのMPやバーがアメリカ軍兵士のナイトライフの中心だったそうです。ハッポン通りで流行り出したゴーゴーバーがソイカウボーイやナナプラザにもできはじめ今のゴーゴーバーの分布となります。

 

元々ゴーゴーバー自体にはダンサーの女の子を連れ出してプレイするという仕組みは無かったですが、この慰安で休暇を取っていたアメリカ人兵士のニーズから風俗と結びついものと考えられ、東南アジアの一つの文化として変化し、定着したと言っても過言では無いと思います。

 

日本や中国等、東南アジアの風俗は置屋やサウナ、ソープ等のような女の子を選んでからプレイまでのシステムが決まっているものが多いですが、欧米男性はシステマチックなのが嫌いなのか、この好みの近いからか今でもMPや置屋で欧米人を見るのは珍しく、欧米人はゴーゴーバーや、ゴーゴーバーがない国では売春クラブに集まる傾向にあるようで、この欧米男性好みのゴーゴーバーがベトナム戦争時代に多くのアメリカ人男性に受け入れられ、一気に広まったというのは想像に難しくないと思います。

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その後ベトナム戦争の終戦によりアメリカ兵が引き上げた事で、タイは外貨収入の激減と大きくなりすぎてしまった風俗産業の失業問題に直面することとなり、観光産業の振興によりこれらの問題を解決しようとします。もちろんここで言う”観光”とは風俗産業も含まれており、国を挙げて風俗面も含む外国人環境客の誘致を積極的に行い、世界一の歓楽街とも言われたハッポン通りを中心に引き続き観光客が訪れ続け、今のタイの姿につながります。

 

また、タイのジェンダー観として、男性は出家することが最大の親孝行と考えられている一方で、僧侶になることが出来ない女性は経済的に親を扶養するという社会的責任を期待されており、またタイでは処女であることが重要視されるので結婚前に処女を失ったり一度結婚したりすると再婚することが難しく、熱心な仏教徒のタイ人は親孝行する事が大切なことと教えられているので風俗産業で働き始め、家族に仕送りすることで孝行娘として認められたいという気持ちがあり、これもタイの性風俗産業がここまで大きくなった理由の一つだそうです。これはゴーゴーバーの子達と関わりを持つと出てくる「家族への仕送り」であったり、「家族が病気になったから」とか家族優先の行動にも出てきていることだと思います。

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また、今ではゴーゴーバーといえばナナプラザ、ソイカウボーイで、ハッポン通りのゴーゴーバーも1990年代までは流行っていたのですが、ハッポン通りのゴーゴーバーでぼったくりが横行してしまい客足がナナプラザ、ソイカウボーイに流れてしまったそうです。

今ではハッポン通りのぼったくりは改善されていてハッポン通りのゴーゴーバーも問題ないという事ですが、ハッポン通りのゴーゴーバーでドリンクを頼む毎に伝票にサインを求められるのはこのぼったくりを改善した事の名残だそうです。

また、ゴーゴーバー以外でもゴーゴーバーが出来る前のアメリカ人兵のナイトライフの中心だったニュー ペッブリー通りは今でもMPが多く、日本人を含む観光客が多く訪れています。

 

高いヒールとセクシーな衣装でクネクネと体を揺らしてゴーゴーダンスをしているタイのゴーゴーバーの女の子達は、適当に踊っているのではなく、アメリカで生まれた由緒正しいゴーゴーダンスを模倣しているという事でしょうか。

慰安婦問題で日本でも戦争と風俗産業の歴史がとりだたされる事がありますが、タイのゴーゴーバーの歴史も世界史の一部としてとらえるのも面白いかもしれません。

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